東京家庭裁判所 昭和51年(家イ)1807号 審判 1976年5月28日
申立人
甲野次郎<以下すべて仮名>
昭和四八年二月一五日生
右法定代理人親権者
母
甲野花子
昭和一四年七月四日生
相手方
乙山和男
昭和一二年二月二八日生
主文
相手方と申立人との間に親子関係が存在しないことを確認する。
理由
一申立人は、主文同旨の調停を申し立てたところ、当調停委員会における調停において、当事者間に主文同旨の審判を受けることの合意が成立し、その原因事実の存在について争いがなく、<証拠>によれば、つぎの各事実を認めることができる。
1 申立人の母甲野花子と相手方は、昭和三二年ころ知合い、昭和三三年ころから○○市内のアパートで同棲を始め、昭和三六年三月二七日婚姻届を了し、昭和三七年六月八日長女梅子を、昭和三九年四月一七日長男太郎をもうけた。
2 相手方と花子は、相手方が竹細工(扇造り)の仕事をしていた関係で、竹のある場所を求めて十数回も住所を変えたが、昭和四四、五年ころ相手方の肩書住所地に落着き相手方は熔接工として働くようになつた。
3 ところが、そのころから夫婦間に波風がたち始め、経済的に苦しかつたこともあつて、花子は、都内亀戸のバーでホステスとして働くようになつたところ、お客として来店した申立外丙川三郎と知合い、昭和四七年一月ころから二日か三日おきに性交渉を結ぶ関係になつた。
4 花子は夫である相手方とも性関係を継続していたが、相手方が飲酒のうえ乱暴することなどから、夫婦仲は悪化し、けんかも絶えない状況であつて、性交渉のときは、サツクを使用して妊娠しないように注意していた。
5 花子は、昭和四七年六月ころ妊娠に気づき、昭和四八年二月一五日申立人を出産した。
6 相手方は、右出産前、花子から右の子は自分の子ではなく、丙川三郎の子であることを聞かされ、同時に離婚の申入れを受けて、一時シヨツクを受けたが、花子が丙川と縁を切つてくれれば自分の子として育ててもよいという気持になり、離婚は拒否し、同月二八日、自分の子として、みずから命名し、出生届をした。
7 丙川三郎は、昭和四七年七月ころ、花子から妊娠した旨知らされ、自分の子であることを確信して、出産の際には病院に見舞に行き、出産費用を負担した。
8 相手方と花子の仲は、その後も険悪化するばかりであり、花子は、ついに昭和四八年一二月ころ、長女梅子を残し、長男太郎と申立人を連れて、相手方と離婚する意思で、本籍地の実家へ帰つてしまい、両名は別居状態となつた(帰郷の費用は丙川が負担した)。
9 花子は、その後も相手方に離婚の申入れをし、相手方もやむなくこれに応じて、昭和四九年九月六日、長女梅子の親権者を相手方、長男太郎および申立人の親権者を花子と定めて協議離婚の届出をした。
10 相手方は、花子の依頼により、昭和五〇年三月七日長男太郎を引取り監護養育を始めたので、昭和五〇年三月二六日当庁に右親権者変更の調停(当庁昭和五〇年(家イ)第一五〇三号)を申立てた。
11 これに対し、花子も、申立人を代理して、同年四月一〇日本件調停を申立てたので、右両事件は、関連事件として、当調停委員会が担当することになつた。
12 右両事件の第一回調停期日である昭和五〇年五月二三日長男太郎の親権者を花子から父である相手方に変更する旨の調停が成立し、本件の相手方と申立人との親子関係不存在の確認についても、事実関係につき当事者間に争いがなく、その旨の戸籍の訂正方を双方とも希望したので、当調停委員会が親子鑑定を勧めたところ、関係者が承諾したため、当裁判所は、鑑定手続をとつた(鑑定費用は利害関係人丙川三郎が負担した)。
13 鑑定人である日本大学医学部法医学教室医師上野佐は、昭和五〇年七月一四日、相手方と申立人との父子関係は、血液型Rh式のうちEe式および血液型Gc式で百パーセント否定される(これに対し、丙川三郎と申立人との父子関係は、いずれの血液型においても否定されず、指紋などの人類学的検査においても矛盾がなく、丙川の父権肯定総合確率は八八パーセントで統計的に父らしいといえる)旨の鑑定書を当裁判所に提出した。
14 その後、相手方の欠席があつて調停期日が延びていたが昭和五〇年一二月一一日の第六回調停期日において、当事者間に主文同旨の審判を受けることについて合意が成立した。
15 相手方は、その後、花子および丙川三郎が慰謝料を支払わなければ、右審判に応じられない旨表明したので、当裁判所は、家庭裁判所調査官に調査調整命令を出した。
16 昭和五一年三月二二日付当庁田中邦夫調査官の報告書および同年五月一九日付当庁亀山弘文調査官の報告書によれば、現在、相手方は、花子および丙川に対する慰謝料請求は別途当事者間で話合いすることにしたので、本件親子関係不存在確認の審判をすることについて異議がない旨の意思を表明している。
17 これより先、花子は昭和四九年一〇月上旬、再び申立人および長男太郎(前記のとおり昭和五〇年三月七日相手方に引渡し)を伴つて上京し、申立人らの肩書住所地で、丙川三郎と同居を始め、以来今日まで親子三人で生活をしており、本件審判が確定し次第、花子と丙川は正式に婚姻届をし、あわせて申立人の戸籍を整序することにしている。
二本件のように、子どもが母とその夫との婚姻共同生活中に出生したものであつて、形式的にみれば、民法七七二条により夫の嫡出子であるとの推定を受けることになる場合であつても、血液型などの医学的見地から百パーセント父子関係の存在が否定され、しかもすでに母と婚姻関係にあつた夫との婚姻が破綻し、すでに離婚に至つていて、しかも子と母および事実上の父と推定される者との間に新しい家族関係が形成されており、戸籍上の父において、子との間に親子関係がないことを承認しているような場合には、実質的には、民法七七二条の嫡出推定の規定は適用されず、一般の原則に従つて右戸籍上の父と子との間に法律上の親子関係が存在しないことの確認的裁判をすることができるものと解すべきである。
よつて、これを本件についてみるに、前記認定の事実関係によれば、戸籍上の父である相手方と申立人との間の嫡出推定は排除され、血縁上の父子関係がないことは明らかであり、したがつて相手方と申立人との間には法律上の親子関係が存在しないというべきであるから、当裁判所は、当調停委員会を組織する家事調停委員坂本斉、同神崎恭子の意見を聴き、本件合意を正当と認め、家事審判法二三条により、本件合意に相当する審判をする。 (梶村太市)